2013年6月18日火曜日

蕪村離俗論



蕪村「俳諧は俗語を用いて俗を離るゝを尚ぶ。俗を離れて俗を用ゆ。離俗法最かたし」

召波「自然に化して俗を離るゝの捷径ありや」

蕪村「詩を語るべし。子もとより詩を能す。他にもとむべからず」

召波 「漢詩と俳諧は致を異するのに俳諧をすてて詩を語れとは迂遠ではないか」

蕪村「画家に去俗論あり。『画の俗を去るに他の法なし。多くの書を読めば則ち書巻の気上昇し市俗の気下降す。学者其れ旃を慎まんかな』(漢文)それ画の俗を去だも、筆を投じて書を読しむ況詩と俳諧と何の遠しとする事あらんや」

「春泥句集序」

2013年6月16日日曜日

象の木印 (仕掛り)



象の木印の仕掛り。天頂部などは貝や銀で装飾してもいいですが今回は彫り込んであります。寸法八分角。

2013年6月8日土曜日

木印 獅子







15mm角。硬めの造形で印鈕である事を優先したつくり。

2012年10月23日火曜日

木印章



実用性のある物をつくってこそ職人という意識がある。
賀茂人形をつくりながらも、いつもその考えは頭の片隅に居座っている。
もちろん賀茂人形の目的である飾って楽しむという事はとても豊かなことである。
ただ、現在つくられて現在使用されるもの、転用ではなく今使う人に今つくるということが自分の求めるかたちである。
木印章はオーダーメイドの靴と同じで使う人個人のものである。その人の為につくり、実用性という宝を持っている。
だからこそ木印章というものにこだわっている。
自分自身が古式を守りて今生きるものをつくることは、古人の魂が今も生き続けていることの証明である。
木印章にこだわるのは、それが古人と今、そして自分を結び付ける術(すべ)だからである。

2012年10月2日火曜日

木印 獅子


画像が表示できなくなっていた為、画像を削除しました。






柘植。高さ 6.3cm。寸法 八分。


2012年9月19日水曜日

デカンショ節 その9



他國で産まれた傍系のデカンショ節

デカンショ デカンショと 赤門の前で ヨイヨイ
おでん かん酒 稲荷寿司 ヨホイ ヨホイ デッカンショ

長いリボンは 伊達には掛けぬ ヨイヨイ
直ぐに間に合ふ 岩田帯 ヨホイ ヨホイ デッカンショ

國へ無心の 仮病の手紙 ヨイヨイ
金のかはりに 親が来た ヨホイ ヨホイ デッカンショ

抱いて寝かして 手枕さすに ヨイヨイ
何が不足で 屁をかます ヨホイ ヨホイ デッカンショ

大和一つ買うて 十銭玉出して ヨイヨイ
つりはいらぬと デカイ顔 ヨホイ ヨホイ デッカンショ

足を抜ことて 三階から飛んで ヨイヨイ
足抜きどころか 腰がぬけた ヨホイ ヨホイ デッカンショ

之が今生の 別れよ友よ ヨイヨイ
交わす盃 月宿す ヨホイ ヨホイ デッカンショ

米が高いと 心配するな ヨイヨイ
芋と水とありや 大丈夫 ヨホイ ヨホイ デッカンショ

お前百まで わしや九十九まで ヨイヨイ
共に虱の たかるまで ヨホイ ヨホイ デッカンショ

いっそ呑むなら デカイこと飲みな ヨイヨイ
世界 質に置いて 酒を飲め ヨホイ ヨホイ デッカンショ

浅間山から 鬼が尻出して ヨイヨイ
鎌でかつ切るやうな 屁をたれた ヨホイ ヨホイ デッカンショ

腕は千里の 嵐に勇み ヨイヨイ
胆は天下の 雲起す ヨホイ ヨホイ デッカンショ